アスペママのなんでもやってみよう

アスペルガー(診断済み)2児の母の独り言。

今年の自分が見えてきた話

石井ゆかりの占いが好きだ。

否定的な事を言わないし、

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

みたいな曖昧さが残っているのでいい。

その割には、結構具体的だったりする。

 

今日、ふと自分の事を考えながら、以下の、今年のみずがめ座(私はみずがめ座である)の記事を思い出した。

 

lineblog.me

 

ざっくりいうと、今年は二つの事をしていき、その中で自分の中のわだかまりが薄くなっていく…というような内容だった。

 

8月に入り、ふと今年を思い出してみると、

「そうだな」

と感じ、そして、その結果、何かうっすらと見えてきたような気がしたのである。

 

私は普段子育て、家事、仕事をしている。

1歳と2歳の世話をして仕事しているとほとんど時間がない。

 

それでも、占いのおかげもあり何かやってみようという気になり、今年に入ってあるブログサイトで150日ほどブログを毎日更新していた。

そのブログサイトでの更新はやめてしまったが、はてなブログに移り、

定期的にブログを書くことは続けている。

(とはいえ、異なるジャンルで3つも作ってしまったのでどうにかしないといけない)

 

それから、英語に興味を持ち、英語のテキストをするようになった。

現在3冊目の途中である。

かつて何度も挫折していたが、今は

「できる時にやる」

という程度にしているので、マイペースで続けられている。

これも続けていく予定だ。

 

そして、服を自分で作りたくなった。

昔、バングラデシュというところに住んでいた時、服は生地を買って、縫製屋に持って行き、作らなければいけなかった。

既成の、日本のようなお店はなかなかなく、基本的に作る必要があった。

手間はかかるが、自分好みのデザインで、自分の好きな服を作るという体験はとてもよかった。

いろんな色やデザインに挑戦し、似合う色もなんとなく分かった。

そして今、ユニクロなどのプチプラの服を着ている。

大量生産大量消費の中で、なかなか好きな服というのが見つからない。

GUなどに行けば390円などの破格の値段で服が買ってあるが、どうしても買えない。

「買ったら?」

と言われるが着たい服がないのである。

それでも先日、片道1時間くらいかけて自分の好みのデザインの店に行ったが、着てみるとイマイチだった。

そして、

バングラにいた時のように、自分で服を作ろう」

と思うようになった。

縫製が得意ではないので、縫製は頼もうと相場を調べたが、1万近くする。

デザインによってはそれ以上する。

考えてみれば、日本人を雇うのだから工賃はそれくらいかかるだろう。

だから自分で全部することにした。

ミシンは借りてくることにして、とりあえず着たいと思える服のパターンの載っている本を買った。

 

日本一簡単に おしゃれな大人服が作れる本【実物大型紙4枚付き】 (バラエティ)

日本一簡単に おしゃれな大人服が作れる本【実物大型紙4枚付き】 (バラエティ)

 

 

小中とミシンが苦手だったので、本当に簡単なレベルのモノにしてみた。 

あとは、道具を揃え、生地を買って縫うだけである。

これを夏のうちに、遅くとも9月ごろには完成させたい。

 

また、秋には行ったことがない北海道に日帰りで行ってみようかと考えている。

 

よく分からないが、総合すると調子がよさそうだと感じている。

去年の鬱鬱としていたところから、水を得た魚のように何かやりたいことができている気がする。

 

日々、瞬間に目をやれば、子どもは泣くし汚すし言う事は聞かない。

自分の時間などほとんどない。

 

だが、今年は去年までと違って、自分が感じていた闇から抜け出せそうな、なにかそういうモノを感じている。

 

あと5か月、充実したものにしていきたい。

 

 

酒の功罪。

お酒が好きである。

ビールが一番良い。

 

先日酒屋に行った。

夫は酒が飲めないので炭酸水とお茶を買ったのだが、私はソーダタイプの日本酒と安くなったコロナビールを買った。

 

これがいけなかった。

 

その晩、ふと昔の事を思い出し泣けてきた。

翌日は仕事の件でカーッと腹が立ち、数日たった今も鬱鬱とした気分を引きずっている。

 

医師曰く

「酒は飲んだ時は気分がいいが、その後の落ち込みが大きくなるので控えたほうがいい」

という。

 

ちょっと前、酒を飲んだあと調子が悪かったのでしばらく禁酒していた。

そして調子もよくなり、酒も飲みたいと思わないでいた。

 

だが先月義母からビールをもらい、飲んでしまった。

ドキドキしたものの翌日も調子が良かったので

「あ、大丈夫なんだ」

と思ってしまった。

それでついつい酒を飲むようになってしまった。

人間一度再開するとやめられないものである。

そして、普段飲まない日本酒とビールの組み合わせで調子が悪くなった。

今はこのしんどさを解決したいと思う日々である。

 

酒は楽しい。

しかし、飲まれてはいけない。

 

それにしても困ったなあ。

オーダーメイドの葬式なんていらない

「オーダーメイドのお葬式」

と、夕方のCMで流れる。

 

個人的には最悪だと思う。

ひっそりと消えていきたい。

 

結婚式と葬式は似ている。

なんとなく大して自分と仲のよくない人がそれとなく集まるのだ。

 

友達が多かったり、親戚づきあいがよくある人ならいいのだろう。

また、自分で事業している人とかなら

「こうやって見送ってほしい」

というのがあるのかもしれない。

 

だが、私はそんなのいらない。

 

死んだら終わり。

 

なんとなく昔からそう思っていて、死んだらあとは灰になるだけである。

天国やあの世などヒトが生み出した死の恐怖への回避妄想である。

 

だからたいそうな式はいらない。

 

昔、寺に勤めていた時があったが、やはり好きになれなかった。

教会にも何度か足を運んだが改宗するほど熱心にはなれなかった。

 

死んだら、法にのっとって灰にしてくれたらあとは何もいらない。

 

墓に入る、というのも気持ちが悪い話である。

死んでまで誰かと一緒にいたくない。

一人でいい。

というか、死んだら終わりだ。

そんなのもない。

だから、やっぱり墓もいらない。

 

何もいらない。

 

死んだら終わり。

 

 

自分の足で歩く

自分の足で歩きたい、最近よくそう思う。

 

どういう事かというと、

自分で友達を見つけ

自分で何かを主催し

自分で仕事をし

生きていくという事だ。

 

今まで、30年以上周りの人に合わせて生きてきた。

自分はやりたいことがあるのに、それに気が付かず、周りに合わせるもうまくいかず、結局人に嫌われて生き続けてきた。

失敗も人以上にしていた。

みんなの忠告を聞かず、いばらの道ばかり歩いていた。

いい事が少なかった。

だから愚痴ばかり言っていたように思う。

友も去った。

 

理由は30歳を前にして分かった。

生まれつき他人と感覚が違っていたらしい。

 

知った時はショックでそんなはずはないと思った。

小さいころから

「変わってる」

と言われ続けたものの、そういうモノではないと思っていた。

しかし、はっきりと、私は人と違うのだと言われてしまった。

 

突然谷に、本当の谷に落された気分であった。

 

今もそこから抜け出せていないが、考えてみれば人と違う感覚を持っていたので他人を怒らせるような事を言ってしまったり、態度をとっていたのだろうと思う。

 

自分がやりたいようにすればいいのに、人と違う自分は周りと付き合うために自分を押し殺していい子を演じながら学校生活を何とかやり過ごしていた。

だから、社会に出てからのふるまい方が分からなかった。

特に転職してからは環境が変わり過ぎて理解できずに混乱した。

そして、

「キミはみんなと違うんだ」

と烙印を押された。

 

生きていても仕方がないと思う事も多い。

人と違うという事は、共感することが少ないのである。

共感できなければ友達はできない。

ショックで悲しかった。

 

でも、最近思うのである。

人と一緒にいなければいいのである。

否、他人が集めた人と一緒にいなければいいのである。

 

自分がやりたいこと、伝えたいことを発信し、私のやりたいことに賛同してくれる人と一緒にいれば否定されることは少ない。

テンポや感覚が他人と違うなら、違う自分を発信して、共感してくれる人といれば気持ちがいいのではないか。

 

そのために私は発信する。

自分がやってきたこと、伝えたいこと、したい事を発信する。

それが私を生かしてくれるに違いない。

 

 

 

 

 

新幹線での殺傷事件に思う

(以下、ほかのブログに書いたものの加筆修正版)


新幹線での事件から数週間。

 

犯人は発達障害があったと言われている。

成績がよく4年かかる学校を3年で卒業していることからもASDではないかと思われる。る。 

 

もちろん、ASDだから事件を起こすわけではない。

それよりも今回は、両親が離婚し、さらに親の姓からも抜け、祖母の養子になっているというような家庭環境が影響しているように思われる。

 

ただ、彼が事件を起こした背景にある

「人とコミュニケーションがとりにくい」

「仕事をしたり生活するうえでコミュニケーションをとりたくない」

「一人で暮らしたい」

「死にたい」

というのは、私にはなんとなくよく分かる。

 

私も小さい時からみんなの輪に入る事が苦手であった。

大人になり、ASDに類推する診断が下り、今どうやって生きて行ったらいいか模索しているところである。

だから、彼のように

「コミュニケーションをとりたくない」

とか

「一人になりたい」

とか

「周りとうまくいかない。うまくいかないのは社会が寛容でないせいだ。」

と思う事もしばしばである。

 

そして

「誰でもよかった」

という社会に対する怒りもよく分かる。

 

日本でなければASDはここまで苦労しないのではないかと感じる時がある。

海外でもASDは一定数いる。

ただ、コミュニケーションの方法が違ったり、多様性に寛容な国や地域も多い。

 

日本は同じでなければならないという場面が多い。

幼稚園、小学校から個性がなく先生のいう事を聞く生徒がいい生徒。

できるだけ同じことをさせようとする。

社会でも大企業の中で波風立てずに粛々としている人がいい社員。

 

だから、ASDのようなコミュニケーションが苦手だったりすると浮きがちになる。

 

実は、療育をはじめとするトレーニングでよくなるというようなのも懐疑的だ。

そもそも、良くなるってどういうことなのか。

その人が幸せになるのだろうか。

結局は、その子(人)がその人らしく暮らせるというよりも、日本で暮らすのに合わせられるように教育をして、周りの都合のいい人になるだけではないだろうか。

社会が求めるいい人になるだけじゃないのかと思ってしまう。

自分らしさを殺し続けて生きざるを得ない事に変わりはない。

だから、療育やその他発達障害に関する教育に対して私は否定的意見を持っている。

 

(事実、事件が起きた彼は精神科にいることや、そうしなければ生きていけない自分はダメだと書いていた。

私もそう思いこの社会を残念に感じる事は少なくない。)

 

ASDがありのままで暮らせる社会が日本にあればいいのにと思う。

ありのまま暮らしている人もいるが、悩み苦しみながら暮らしている人も少なくない。

 

なぜ障害のある子どもは別の学校に行って、別の会社で働かなくてはいけないのか。

ASDであることを隠して苦しい思いをしながら暮らすか、ASDであることを公表して低い給与や待遇の差を与えられて働かなくてはいけないのか。

定型ってなんなのか。

そんなことを考えてしまう事件であった。